伝えきれない思い


2024年1月某日、
Amazonポッドキャスト『反応しない練習エクストラ』第3弾<希望編>の収録がありました。

このシリーズは3部作。もう9年近く寄り添ってくださっているKADOKAWAメディア担当者のご尽力の賜物です。


サブタイトルは当初、「告白編 本当は話したくないことを無理やり話す第3弾」的なものになる予定でした。あくまでエンタメ。ふだんほとんど語る機会がない過去の体験について”告白”しようというもの。第1・2弾は、実際にそうした内容でした。


しかし今年に入って能登半島を中心に地震そして津波が起こりました。

現地の人々の姿を見ると、やはり胸が痛みます。

こうした現実を脇に置いて語ることが、果たして正解か――自分の中で葛藤が生まれました。


仮に今回の痛ましい出来事が一回限りのもので、今後は次第に平穏無事に戻ってゆけるというなら、単純に聞いて楽しんでもらえる話題だけ話せばよいということになるかもしれません。

でも、現実は現在進行形。これから復旧・復興まで長い歳月が必要になるでしょう。もしかしたら今後、さらに大きな災難が広い地域に起こるかもしれない、この国に長く困難な時代が来るかもしれない・・・。

もしそうなった時に、個人的エピソードをメインに語るという切り口でよいのかどうか。


むしろ現実を見据えて、自分たちはこれからどう生きればいいのかを正面から語るほうがよいのではないか。そう思えてきました。


でもそうすると、第1・2弾ほどの笑い(楽しさ)はなくなるかもしれない(もとより出家が笑い=エンタメ性を考えるという立場自体が独特なのですが)。

とはいえ、現実をかわして話を組み立てると、痛みを抱えて生きる人にとって、さらにもし近い将来、多くの痛みが生まれた時に、必要性を失ってしまうのではないか。そう思えてきました。

生き方。そして希望。

現実が困難になればなるほど、必要とされるもの。

それを語ることこそが、この命の本分(本来の役目)であろうと強く思えてきたのです。


もともとこの命は、自分のことではなく、相手のこと、人さまのこと、社会のことを考えて、本当に伝える価値があることを伝えることを、役割としています。出家とはそういう立場。

主眼(本題)はあくまで、苦難の中にいる誰かに必要なこと・有益なことを語ること。自分のことは「ちなみに」であり「おまけ」です(私の本を読んだ人は、わかってくれるものと思います)。

そこで急遽、構成を変更。

エンターテイメント性を大事にすること、商品価値を維持することは、制作チームの人たちにとってマスト(必須条件)。だから私が申し出た直前の変更に、若干のためらいを覚えた様子はありました。

でも現実を見据えて、今伝えなければいけない(と感じる)ことを、まず言葉にする。そのうえで頑張って、視聴者に楽しんでもらえる要素を増やすことに全力を尽くそう。そうお願いしました。


実際に、そうと決めたとおりに話を収録したのですが、この国にはこれまでも何度も大きな地震が起きていて、そうした地震についても本当は取り上げるほうがよくて、でもそうすると本当にヘビーな内容になってしまって、今回のポッドキャストの趣旨を大幅に逸脱してしまう・・・というさらなる葛藤もあったこと、告白しておきます。


この世界は、いつも、どこにおいても、悲しいこと、苦しいことが無数に起きているから、

全体を見れば見るほど、考えれば考えるほど、語り切れないこと、取りこぼさざるをえないことが出てきてしまって、

最後は、生きていることさえ罪を犯しているかのような思いにがんじがらめに縛られてきて・・・

という出家する前の心境を、収録しながら思い出してしまいました。戻ってしまった・・。


生きるだけで、つらくなる。

出家する前は、そこまで追い詰められていました。

出家したからなんとか、生きることの矛盾や、生きること自体の罪深さや、自分というあまりに小さな存在の非力無力を乗り越えて、

”よき働きを果たす” という今にたどり着くことができました。


そんな思いを胸に収録したエピソードもあります。


個人的にはいろんなことを考えながら、痛みを感じながら、それでも聴いた人に笑ってもらえるように、”希望”を見出してもらえるようにと、頑張って、本当に今回頑張って、収録しました。いや、しんどかった。というか、つらかった・・。


少しは伝わってくれるかな。

伝わってくれると、嬉しいな。


インドに旅立つ前に

2024年1月某日