僕は都内の私立大学を出て、IT企業に就職した。今は営業をやっている。
大学を卒業したとき、特別に何かやりたいことがあったわけじゃない。なんとなくツブシが効いて、仕事の幅を広げられそうで、親戚や友人に見栄を張れそうなところ。そんな本音で動いていたら、今の会社に落ち着いた。仕事に不満があるわけじゃないし、大きな失敗もしていない。そこそこ順調に行っているほうだと思う。
ところが――だ。いつの頃からか、楽しいと思うことが、めっきり減った。
心に怒りというか、渇きというか、沸々とはち切れそうな感情が溜まってきたのだ。
いつも何かに憤っている。何かがかみ合ってない。生きている実感がない。このままじゃいけない、という危機感めいた思いは日増しに強くなっている。だが、出口はまるで見えない――。
そんなことを、思いつく言葉を並べて語ってみた。和尚は微笑んで言った。
「お気持ちは伝わってきます。なんだか息が詰まったような気分ではありませんか?」
そのとおりです。
「でも、その閉塞感の正体は、自分ではわからないのですね?」
そうです(だから、ここにやってきたんだ)。
「ラクになりたいですか?」
はい――そういうだけで、ぐっと何かが込み上げて、涙が出そうになった。相当溜まっているらしい。
和尚は、うむ、とうなずいて、こう語った。
「あなたが今よりラクになることは、可能です。今の時点で、息苦しさの理由を、いくつか伝えることもできます。
ただそれを今語っても、あなたは理屈で理解してしまって、本当の解決にたどり着けない可能性が高いと思います」
理屈っぽいというのは、昔から言われてきたことだ。もうバレてる?
「あなたは、怒りって感情だと思いますか?」
それはそうだろう。怒りは感情――それ以外に何かあるのか?
「怒りはたしかに感情ですが、その原因は、ひとつではありません。怒りには、その原因に応じて、比較的解消しやすいものもあれば、かなり時間がかかるものもあります。
怒りには、その原因に応じた深さの層があるのです。
あなたのなかには、深い怒りの層と、今の生活からくる浅い怒りの層とがあるように思います。あなたの心境は、いわばそれらの怒りが集積した〝怒りの複合体〟みたいなものかもしれません」
怒りの層? 怒りの複合体? 聞いたことのない言葉だ。だがいわれてみれば、そんな気もする。
長い間、僕の頭のなかは、イライラで一杯だ。こんがらがった怒りの感情で、身動きが取れなくなっている。
いったい、どうすればこの感情から解放されるんだ――?
すると和尚は、机の上にスケッチ帳を置いて、サインペンで何かを書き出し、僕の前に置いた。
草薙龍瞬『自分を許せばラクになる』2017 から