正しく怒る3つの技法
草薙龍瞬
2024/2/19
職場や家庭などの人間関係でついイライラしたりカッとなったりしたとき、怒りを我慢してしまうのは誰にもあるはず。そんな中、「我慢するだけじゃ辛いから、正しく怒れる人になろう」と提唱するのが、僧侶・草薙龍瞬氏。
職場や家庭などの人間関係でついイライラしたりカッとなったりしたとき、怒りを我慢してしまうのは誰にもあるはず。そんな中、「我慢するだけじゃ辛いから、正しく怒れる人になろう」と提唱するのが、僧侶・草薙龍瞬氏。
カバーも確定、帯も確定。後はカバーのソデ周りなどの細部のみ。
現時点での著者になしうることは、すべてやった感があります。出し切った・・・。
今回は、カバーイラストも、帯コピーも、本当に細部の細部まで、著者リクエストを、出版社&編集者&デザイナー様が汲んでくださいました。
『人生をスッキリ整えるノート』と並んで、今回もカバーイラストを著者自身が手掛けました。唯一無二。
今回、過去のどの作品よりも、著者自身の人間としての思いを託した感があります。
どれだけ世に届くか(売れるか)は別として、出す価値があったと思える作品。この作品だけは、今の時期に絶対に出さねばならない。それくらい、時代的・社会的必要性が高い本。
しかも現時点での著者の筆力マックス(最大限)を発揮。年末からスパートをかけて、同じクオリティのものをもう一度書けと言われても絶対に無理と思えるレベルに到達した感があります。
それこそ本の1ページ分書いていた内容を、わずか1行・1フレーズに凝縮して、サラリとまとめた(本当はもっと広げて書くこともできるが、ページ数の制約もあるし、読みやすさも考慮して、凝集・洗練させた)部分も、かなり多い。
いくらでも長く書ける内容でも、1行で伝わるなら、そっちを選びました。そういう箇所が今回多かった。読む人が、わかってくれれば成功。わかるように書いたつもりだけれど、はて結果はいかに?
『反応しない練習』から8年・・・いよいよ満を持して『怒る技法』の登場。
時代を画する作品になってくれたらと思います。
「正しく怒れる人になろう」が、帯コピー。
心優しい人にこそ贈ります
2023年11月2日
私の中で何か変化が起きているのはわかっていますが、この変化が良い方向性に向いているのか、悪い方向性に向いているのか? 自分でも理解できていません。
後々両親がなくなった時後悔するのでは?と思ったりもします。特に今までの経緯で色々言われてきた母とは一線を引きたいと思っていますが、それが正しい事なのか。
過去に引きずられている私がいることも問題だと思うし、後悔しそうだし。私の身の振り方は誤っているのでしょうか。
◇◇◇◇◇
<おこたえ>
この人は、いいように利用されてきたのです。他の兄弟に比べても、ろくな扱いを受けていない。兄弟が受け取ってきたものを、自分は受け取っていない。
この人は、自分の力で生きて、自分の力でここまで来たのです。恩に着る必要はありません。
ともあれ、この人は間違っていません。すごくよく見えてきています。
自分の感情を大事にすること。
そのうえで技法をもって関わり方に答えを出すことです。
「あとがきに代えて 怒りのない世界をめざして」のメッセージについての感想をたくさんいただいています。
本というのは、本当に貴重な生き物。今の時代には、非効率ともいえるし、コストもかかるもの(製作費)。
でも価格はあまりに安い。ランチ代くらいの値段で、物書きは人生かけて書いている。
SNSや動画はインスタントに配信できるけれど、それだけに受け取る側に残るものもインスタントに終わる可能性はある。ふーん、へえ程度で消えていく。
本の場合は、読み手が一定の時間向き合って、言葉を味わったり、マーカー引いたり、ノート取ったりして、本の言葉を自分のものにしようという積極的な努力がある。
本から得たものは、自分だけのもの。時間をかけて味わって、落とし込んでゆくべきもの。
以前、WEBメディアで連載していた時に印象的だったのが、朝6時に新記事が配信されると、我先にと自分の顔と名前をつけたコメントが並んでいくこと。
それも、「自分がどう活かすか」というより、「これはこういうことだ」「自分はこう思う」みたいな解説というか批評というか、結局のところ自分語りに近い内容が多かった印象が残っている。
私に伝えられることは、仏教にもとづく生き方。
時間をかけて落とし込んで、実践して、自分の中で「体験」していくべきもの。
自分の意見(これはこうだ)をインスタントに言葉にしてしまうと、自分の意見が「壁」になる。
「私はこう思う」という自我が残って、本の言葉(本来の意味、残ったかもしれない、自分が成長して初めてわかる意味)は消えていく。
今の自分に見えない部分は、急いで今の自我で埋めるより、そのままにしておくことが自然なありかたではないのかな。
時間と静寂(沈黙)が必要ということ。
人間が最も成長するのは、静寂の中でおのれを見つめる時だ。
常に願っていることは、本の中味を汲みとって前向きに活かそうと頑張る人たちの元に、あまねく届けること。
「10万人に届いたとしても、10万1人目が本当は必要としているかもしれない」
と、かつて語っていた自分の言葉を思い出した。
最初の1人も、10万1人目の1人も、受け取った人にとって、本は著者からの「手紙」になる。とてもパーソナルな手紙。
私が世に届ける言葉は、みんな幸せになってほしいという純粋な思いだけでできている。
それは真実。それが伝わってくれたらという夢を見ています。
2023・3・29
『怒る技法』マガジンハウス 全国書店に並んだ様子です。
マガジンハウス『怒る技法』2023年
2023年3月25日
日曜の昼下がり、東京・飯田橋界隈で在日ミャンマー人のグループが募金活動をやっていた。
引き返して、以前ミャンマー旅行に行った人から預かっていた寄付(USドルとミャンマー・チャット)と気持ちを持って行った。
総額がいくらか数えていないが、分厚い束だったから、それなりの額だろうと思う。半分に分けて、二か所のグループに手渡した。
彼らにはなんの罪もないが、絶望的な状況に置かれているのは事実だ。傲慢な軍人たちが権力を手放す日など、本当に来るのだろうか。
ミャンマーを旅して、いろんな人たちに出会った。みんな善人。普通の人。
当時、唯一物足りなく感じたのは、人々が仏教を信じすぎていたこと。貧しいのに、その原因を見つめることはしていなかった。本当は、仏教も共犯かもしれないのに。
よき来世のために功徳を積む――その実践が、仏塔を建てたり長老・比丘に布施をしたり。
「来世のため」の布施なのだから、結局は、利欲に基づく行いと言えなくもない。信仰心に見えて、その本質は利欲。彼らが託すのは、来世への期待を得るための対価だ。
長老も軍人も、巧みに仏教を利用して、人々の心をミスリードしていた。「輪廻信仰」は、彼らにとって最も都合のいい理屈だ。
今のミャンマーの状況は、彼らの魂胆が剥き出しになったというだけ。理不尽な構造は、ずっと続いていたのだ。
私欲を隠し持った人間と宗教にいくら期待をかけても、最後にたどり着くのは、彼らの魂胆が明るみになることしかない。支配、抑圧、搾取。異議を唱えた者たちへの弾圧と暴力。
ミャンマーの現状は、その一例だ。
私が、いや本来の仏教が「動機を見よ」と語るのは、結局、人間の動機を超える未来など存在しないからだ。
動機(思いの原点)に貪欲と傲慢が潜んでいる限り、そうした動機を隠し持った人間・組織・制度・思想にどれほどすがっても、最後に待っているのは、悲劇である。
そうした結末を見抜けないのは、すがる側にも都合のいい妄想があるからだ。
人間は、自分の妄想に囚われることで、他人が隠し持った動機に、簡単に騙されてしまう。
起きている事態は違えども、世界中で同じことが起きている。日本においてもだ。
気の毒に過ぎる。
人の幸せを第一に願えること。
人の痛みを思いやれること。
まともであることが、結局は正しい生き方だ。本当の価値を生みだす源泉となる生き方。
その当たり前の姿に、人々が気づく日は、いつか来るのだろうか。
2023年3月
『怒る技法』は、2023年3月20日発売に決まったそうです。
著者としては、今回はじめて「書かなければ」という思いで著した作品。過去の作品は、純粋に出家=世俗と一線を引いた立ち位置で書いていたけれども、今回は、世俗に半歩踏み入れた位置で書きました。
世の中、節操がなく、思いやりがなく、平気で人を傷つけ、排除し、マウントを取って自己満足する「マウント・カルチャー」と言えるような言葉がはびこっている。
マウントを取るのは、承認欲と都合のいい妄想さえあれば、誰でもできるから、広がりやすいし、影響力を持ちやすい。快があるから。
言い放つ側にも、支持する側にも、快がある。
しかしその快は、必ず、他の人の苦痛を伴う。当たり前。マウントを取りたがる人間は、マウントされる人間の上にあぐらをかき、傷つけて、その傷に塩を摺り込むことになるから。
マウントを取りたがる心は、「排除」を生み出す。理屈をつけて、その条件に当てはまる人を排除する。当然、分断が生まれる。
決してよいことではない。だがそうした心は、同じ思いを持った心とつながって、増殖していく。
自分さえよければよく、社会にとって、同じ社会に属する他の人たちにとって、利益になるかは考えない。思いやり(痛みへの配慮)や社会的責任、未来への影響という発想がない。
こうした風潮は、いつから始まったか。個人的に思い出すのは、20年前ののイラク日本人人質事件。あの時出てきたのが、「自己責任」という言葉。
同じ時期に始まった構造改革・規制改革によって、企業においては、非正規雇用者が増え、社会保障が切り詰められ、経済的弱者が切り捨てられる傾向が、一段と強くなった気がしなくもない。
「自由化」という名の弱者切り捨てと「自己責任」は、同じコインの表と裏だった。
以来、「排除」を、もっともらしい理屈をつけて正当化しようとする風潮が、ずっと続いている気がしなくもない。
政治、経済、文化(学問や言論を担う者たち)、学歴信仰を助長しているように見えなくもない教育・受験産業やテレビ番組、SNSが確実に加担しているであろう今日のマウント・カルチャーにも。
社会に不満を持っている人が多いのは、当然だろうとは思う。だが不満を語る人もまた、自分に都合のいい「排除」の理屈に乗っかってしまっている可能性はある。
社会が「排除」を正当化するようになったからこそ、自分が排除される側に回ってしまったかもしれないのに、その自分もまた「排除」する側に回ってしまっている。
マウント・カルチャーは、排除の理屈の一つだ。マウントを取る側には快。だが、マウントを取られる側、排除される側が確実に増えていく。
そしていずれは、自分がマウントされ、排除される側に回ることになる。
苦しみが増え続ける発想でしかないのに、そのことに気づかない。
本当の問題を理解し、改善への道を地道に進むより、「排除」することは、はるかに容易で快適だ。だから社会の分断は、人が想像する以上に速く進む。
SNS、プラットフォーマー、マスメディア、思考停止した大人や、余裕を奪われた教師たち、地位や年齢や自分に都合のいい制度にあぐらをかいてしまった大人たち、
さらにはそうした世の中に不満を語りながらも、自分もまたマウントと排除の理屈に立ってしまっている、すべての世代・立場にある人たちが、それぞれに原因を作っている。
時代を作るのは、一人一人の人間の思いだ。その思いの中に、マウント、排除、建前、保身、打算計算その他の、その先には閉塞、分断、破滅が待っているかもしれない動機が、たくさん紛れ込んでいる。
言っても届かぬ言葉を語ることは、無意味かもしれない。
だが、届く人には届けなければならない。
社会の分断の手前で立ち止まっている人たち、世のありように疑問と危機感を覚える人たち、私にとっての読者――せめてそうした人たちに、思いやることと、正しく生きる智慧と勇気の言葉を伝えること。
それしかないか。もっとできるか。難しい線引きを、この先していかねばならない。
そうした思いの中で、一歩世相に踏み込んで書き著したのが、今回の作品。
私の命にも限りがある。しかし、誰もが幸せに生きられる世界をめざすことは、変わらない。私からの約束だ。
どうか、活かしてほしい。祈るような思いでお願いします。
この世界の未来のためにも。
2023・2・22
怒ることから始めよう
最初に、あえてお伝えします――怒ってヨシ!
1月15日(日)13時 最新刊『怒る技法』脱稿(原稿完成)。
納得の作品。全編に、今の時代に伝えねばと感じる思いの髄を込めました。
生まれてから死ぬまでの怒りのすべてを斬って捨てていくという、一冊読めば生涯分の怒りを体験できる? そして怒りの越え方も。
今回は、4年越し、しかも2週間ほど前までは、全貌は見えていませんでした。
振り絞って出てきた「一滴」が、今回の作品です。
この命は、この世界に起きている苦しみを見据えて、言葉を探す。ブッダの智慧をえぐるように掘り起こす。
今回は、怒りという感情が持つ、負の要素ではなく、「可能性」を形にした作品です。
怒らねばならぬ時は、怒らねばならぬ。でないと、あなたの人生が滅びる。
そういう危機感を込めて、書きました。伝わるかな・・。
昨日から緊急事態ーー私は、各ページの末尾の言葉を何にするかまでこだわるタイプなので、最後の最後まで緻密に推敲して、240頁きっかりに仕上げて、本日13時に編集者さんにメール送信。
もっとも本づくりは、ここからが大変。初校、再校と手直しが続く。
さらにカバーイラストもこれから仕上げないと。骨ミシミシ、心臓ばくばく、しかし何かを創り出すというのは、こういうこと。
要するに・・・納得レベルの再更新ということです。
苦しみを強いられている人たちへ、つつしんで捧げます。
カバーアート 草薙龍瞬
2023年1月17日
こんにちは、草薙龍瞬です。
近況報告はなんだか久しぶり?
改めて新年あけましておめでとうございます(何を今さら)
実際に久々なのか、最近おたよりしたか定かではないのですが、それだけ大変な?状況が続いているということですw。なんだか正月が遠い・・・いやすべてが遠い。
というのも、昨年末から、ほとんど外に出ていないのです。ほぼ自室に缶詰め状態。
最新刊は、いよいよ脱稿(完成)寸前。
370ページ(約20万字)を、この二週間で半分に減らしました。いったん200ページに落として、そのうえで省いた内容を肉付けして‥‥‥。
この4年くらい? 今回の作品はずっと念頭にあって、しかし内容が難しくて、まとまりきらず、
受験生でいうなら、「こんなので受かるのかな? 無理かな?」と思いつつ、結局最後の追い込みに入って、それでも高いハードルに苦労して、「うーん、しんどいな、見えないな」と思って、ウンウン唸りつつ机に向かって、
最後の二週間くらいで、突如「覚醒」――「見える、見えるぞ!」(機動戦士ガンダム)ゾーンに入ってきた、そんな感じです。
今回の本は、著者がいうのもなんですが、かなりユニークな作品になりそうです。
誰もが体験する怒りについて、さまざまな場面を拾って、「心の達人ブッダ」が師匠となって、現実に立ち向かう秘技の数々を伝授するという。
怒りについては、仏教の世界なら瞑想で静めるとか、アンガーマネジメントなら自分サイドで解消するとか、いろんな形で語られてきましたが、どれも「自分の側で解決する」という発想の枠内だった気がします。
しかし怒りというのは、自分の側の問題とは限りません。人間、そして社会、広い世界――自分は怒らされているのであって、怒らせているのは自分以外の他者かもしれない! そんな発想で斬りこんでいった本は、これまでなかったかも?
しかも、すべての場面に、きっちり使える「技」としてまとめあげた本、いわば正しい怒り方大全 みたいな作品は、やはり今回が初?
実際書いていて、面白い。同じものを書けと言われてもこれは無理。アタマをフル出力してようやく作品の形に仕上がってきました。
苦しめられている人こそ、怒らねば。
怒(いか)れる人から「正しく怒れる人」に変身せねば。
この世界に生きるすべての人の味方になる本です。
この世界に優しさを取り戻すために――。
タイトルはほぼ確定(近日公開)。
2月20日発売ですが、まだ原稿が完成していないという・・・かなり危険区域。しかし中身は時代を画するかもしれない内容。唯一無二。いや、生きてきてよかった。
ということで、著者がんばっております。
よき週末を!
2023・1・13