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PRESIDENT 正しく怒る3つの技法

PRESIDENT Online Academy
合理的生き方を説く僧侶のアンガーマネジメント術

正しく怒る3つの技法

草薙龍瞬

2024/2/19



職場や家庭などの人間関係でついイライラしたりカッとなったりしたとき、怒りを我慢してしまうのは誰にもあるはず。そんな中、「我慢するだけじゃ辛いから、正しく怒れる人になろう」と提唱するのが、僧侶・草薙龍瞬氏。

ロングセラー『反応しない練習』で、仏教を“合理的な生き方”として蘇らせた気鋭の僧侶が語る進化系アンガーマネジメント術を使えば、ストレスと闘う日々にやすらぎを取り戻すことができるという。
 
理不尽な世界を生き抜くための3つの技法が、今、明かされる。
 

怒る技法~ほぼ満願成就


『怒る技法』は、最後の「闘い」がほぼ終了――。


カバーも確定、帯も確定。後はカバーのソデ周りなどの細部のみ。

現時点での著者になしうることは、すべてやった感があります。出し切った・・・。

今回は、カバーイラストも、帯コピーも、本当に細部の細部まで、著者リクエストを、出版社&編集者&デザイナー様が汲んでくださいました。

『人生をスッキリ整えるノート』と並んで、今回もカバーイラストを著者自身が手掛けました。唯一無二。


今回、過去のどの作品よりも、著者自身の人間としての思いを託した感があります。

どれだけ世に届くか(売れるか)は別として、出す価値があったと思える作品。この作品だけは、今の時期に絶対に出さねばならない。それくらい、時代的・社会的必要性が高い本。

しかも現時点での著者の筆力マックス(最大限)を発揮。年末からスパートをかけて、同じクオリティのものをもう一度書けと言われても絶対に無理と思えるレベルに到達した感があります。

それこそ本の1ページ分書いていた内容を、わずか1行・1フレーズに凝縮して、サラリとまとめた(本当はもっと広げて書くこともできるが、ページ数の制約もあるし、読みやすさも考慮して、凝集・洗練させた)部分も、かなり多い。

いくらでも長く書ける内容でも、1行で伝わるなら、そっちを選びました。そういう箇所が今回多かった。読む人が、わかってくれれば成功。わかるように書いたつもりだけれど、はて結果はいかに?

『反応しない練習』から8年・・・いよいよ満を持して『怒る技法』の登場。

時代を画する作品になってくれたらと思います。

「正しく怒れる人になろう」が、帯コピー。



心優しい人にこそ贈ります



2023年11月2日




応じるか従うか~親子の葛藤を越える計算式

<おたよりから> 
※本人の許諾を得て、一部編集してお届けしています

私の母は、今までも何かあると一番に私に電話してきます。必ずそれにこたえる形で動いてきました。

私自身は、子供の頃はバカ扱いされ、兄弟と比較され、そのうえ一番上という事もあり、大学費用は出せないという事で、奨学金をもらいながら働いて、親にお金を出してもらうことなく〇〇〇になりました。

それに対して、兄弟は皆大学まで親がお金を出し、生活を援助してもらい、ぬくぬくと学生生活を送り社会人になるという、あまりの違いに憤りさえ感じています、

なぜか何かあると一番に私に連絡が来て、私がお金を出したり動いたりしています。なぜそのようにしなくてはならないのか、なぜ兄弟が弟たちがやらないのか、不服を感じながら黙ってやっていました。

先日になって母から電話が何回かあり、何回話しても理解してもらえず最終的に仕事もあって断りました。
自分でも気がついているのですが、イラつきの強い口調で話しています。母も、変わったね、きつくなった。と言っていました。

私の中で何か変化が起きているのはわかっていますが、この変化が良い方向性に向いているのか、悪い方向性に向いているのか? 自分でも理解できていません。

後々両親がなくなった時後悔するのでは?と思ったりもします。特に今までの経緯で色々言われてきた母とは一線を引きたいと思っていますが、それが正しい事なのか。

過去に引きずられている私がいることも問題だと思うし、後悔しそうだし。私の身の振り方は誤っているのでしょうか。


◇◇◇◇◇

<おこたえ>

ここまでに起きた出来事は、本人の感想はともあれ、間違ってはいません。

過去には拒めなかったことを拒めるようになったのだから、成長しています。

その心を見れば、親・兄弟たちは、自分たちに都合の悪いことはこの相談者がやってくれるもの、それが当然、と思っているのでしょう。もともとそういう扱いだということ。生まれ持った環境における、家族の中での位置づけ・役割というのは、簡単に変わるものではありません。

この人は、いいように利用されてきたのです。他の兄弟に比べても、ろくな扱いを受けていない。兄弟が受け取ってきたものを、自分は受け取っていない。

この人は、自分の力で生きて、自分の力でここまで来たのです。恩に着る必要はありません。


「都合のいい時だけ頼るのは、やめてください」
「私は応えるつもりはないから、別の手段を考えてくれますか」
「他の兄弟がやってくれることになった? そうですか。別に私に報告しなくていいです」

くらいでよいのです。


ただしこの人は、ずっと昔から、「応えるのが自分の使命であり務め」と思い込まされてきた様子もあります。さらには親に愛されたいという子供の頃からの願望も、まだ覚めることなく残っている可能性があります。

そういう捨てきれない願い(妄想)があるから、応えないことに罪悪感を覚えるのでしょう。声(連絡)がかかると途端に落ち着かなくなるのです。応えなくてはいけないのでは?と思ってしまう。

罪の意識、良心の呵責・・・こうしたものは、相手の一方的要求に「応えてあげなければ」とつい持ち前の執着を向けてしまうことから生じます。かりに親が亡くなっても、執着は続くから、「もっと応えてあげればよかった」という思いが残ります。

さらには、応えないのは人でなし、冷たい人間、自分は人としてどうなのか、みたいな、自分を疑う妄想も噴出してきます。


こうした心情は、わかる人も多いのではないでしょうか。しかしこれを整理する計算式は、つねにシンプルです(『怒る技法』から)。

➀相手の思い(もっといえば魂胆)を見抜く。
 
②自分は自分の人生を生きる。できることはできるし、できないことはできない。
 
③相手の思いに利用されない。人は人、自分は自分だから。

➀については、「問いただす」ことが可能です。

過去覚えている相手の仕打ち(自分がされたこと)を振り返って、「どういうつもりだったのですか?」と直接聞く。

「兄弟に与えたものを、私にはくれなかった。そのことに理由はあったのですか? どんな理由?」と聞く。

「私が今思うのは、あなたたちは、都合よく私を利用してきたということ。その自覚はありますか? さすがにひどいと思いませんか?」

「単純に人として腹が立つ。私をなんだと思っているのでしょうか」

そうやって、自分の思いを偽ることなく伝えてみればよいのです。それに相手がどう答えるか。その答えによって、相手の思惑・魂胆・正体がわかります。

相手の思いが見えれば、その次にすべきは、その思いに利用されることを拒否することです。

他人に自分を利用する資格はない。人をいいように利用していい人間など、この世界に本当はいない。いてはならないのです。

だから、もし向こうが自分たちの思惑・都合だけを見ていて、こちらの思いを理解しようとしないなら、その先関わっても、相手に利用されることになってしまうから、関わること自体を辞退する。

「もうこれ以上、私にできることはありません(したくありません)から、連絡しないでもらえますか?」と伝えることも、選択肢の一つです。


その後に残るのは、「かわいそうかも」という罪悪感かもしれません・・。

しかし罪悪感を背負わせること自体が、実はおかしいのです。その関係性が対等ではないということ。

かりにもし相手が精神的に自立していて、子供たちを平等に思いやる、まともな親であるなら、

「そうだよね、あなたの気持ちもわかるよ(わかるように努力するよ)」
「甘え過ぎていたね、これからは自分も頑張るよ」

みたいな言葉が最初に出てくるものです。ちゃんと相手を思いやれる人から出てくるのは、第一にありがとう、すまないね、という言葉です。

それが出てこないのは、「利用して当たり前」と思っているからかもしれないのです。連絡してくるのも、まだ都合のいい期待を捨てていないから。語る言葉は、不満げ、ものほしげ、そしてイヤミ。
 
「やってくれないの・・・ああそう(あなたは冷たい子だね)」という言外のメッセージをわざわざ伝えようとするのです。
 
もしそれが相手(親)の本音だとしたら、こう切り返すことになります。

「自分の都合が通らない相手を、冷たいとか勝手だとかわがままだとか、そういう言葉しか出てこないあなたが、いかに身勝手か。今の私はそう感じます」
 
「自分勝手? その言葉、そっくりお返しします」


言いなりになるよりも、相手のご機嫌をうかがうよりも、ついキツくなってしまっても、仕方ないではありませんか。言い返せるほうがはるかにマシです。

どんどん言い返せばいいし、怒りが湧いてくるなら、怒りを伝えてよいのです。怒らないより、怒れるほうが、はるかにマシ。

慈悲(優しさ・思いやり)というのは、向ける場面が違うのです。一方的に利用してくる身勝手で無理解な、どうしようもない相手に対しても、慈悲を向けることはできますよ。でもリアルな関係においては、特に自分が苦しめられている場合は、まずは怒れること、伝えること、斬って返せることのほうがはるかに大事。混同させないことです。場面が違います。

総じて、この相談者は、執着まみれでぐちゃぐちゃになっていた一時期よりも、はるかによく見えるようになっています。正しい道の途上にいるし、これまでの選択は、何も間違っていません。

伝えるために努力するは、ヨシ。そして、伝わらないとわかった時点で、それが可能ならばですが、関わりをリセットすることです。関わらねばならぬ人間は、本当はいないものです。親であれ兄弟姉妹であれ、です。
 
「そんなことはない」という声も聞こえてきそうですが、なぜそう言えるのでしょう? もし自分が苦しめている側なら、「そんなことはない」と思うのは、まさに都合を押しつけているから。
 
もし苦しめられている側はそう感じるなら、「執着」があるのかもしれません。そんな(自分を苦しめるような)相手でも、まだ愛されたい、わかってほしい、あきらめきれないという執着が。


ともあれ、この人は間違っていません。すごくよく見えてきています。

自分の感情を大事にすること。

そのうえで技法をもって関わり方に答えを出すことです。


『怒る技法』マガジンハウス

 
2023年8月9日


本に託する思い(怒る技法)


今回の『怒る技法』(マガジンハウス)については、

「あとがきに代えて 怒りのない世界をめざして」のメッセージについての感想をたくさんいただいています。


本というのは、本当に貴重な生き物。今の時代には、非効率ともいえるし、コストもかかるもの(製作費)。

でも価格はあまりに安い。ランチ代くらいの値段で、物書きは人生かけて書いている。

SNSや動画はインスタントに配信できるけれど、それだけに受け取る側に残るものもインスタントに終わる可能性はある。ふーん、へえ程度で消えていく。

本の場合は、読み手が一定の時間向き合って、言葉を味わったり、マーカー引いたり、ノート取ったりして、本の言葉を自分のものにしようという積極的な努力がある。

本から得たものは、自分だけのもの。時間をかけて味わって、落とし込んでゆくべきもの。

以前、WEBメディアで連載していた時に印象的だったのが、朝6時に新記事が配信されると、我先にと自分の顔と名前をつけたコメントが並んでいくこと。

それも、「自分がどう活かすか」というより、「これはこういうことだ」「自分はこう思う」みたいな解説というか批評というか、結局のところ自分語りに近い内容が多かった印象が残っている。

 

私に伝えられることは、仏教にもとづく生き方。

時間をかけて落とし込んで、実践して、自分の中で「体験」していくべきもの。


自分の意見(これはこうだ)をインスタントに言葉にしてしまうと、自分の意見が「壁」になる。

「私はこう思う」という自我が残って、本の言葉(本来の意味、残ったかもしれない、自分が成長して初めてわかる意味)は消えていく。

 

今の自分に見えない部分は、急いで今の自我で埋めるより、そのままにしておくことが自然なありかたではないのかな。

 

時間と静寂(沈黙)が必要ということ。

人間が最も成長するのは、静寂の中でおのれを見つめる時だ。

 

常に願っていることは、本の中味を汲みとって前向きに活かそうと頑張る人たちの元に、あまねく届けること。

「10万人に届いたとしても、10万1人目が本当は必要としているかもしれない」

と、かつて語っていた自分の言葉を思い出した。


最初の1人も、10万1人目の1人も、受け取った人にとって、本は著者からの「手紙」になる。とてもパーソナルな手紙。


私が世に届ける言葉は、みんな幸せになってほしいという純粋な思いだけでできている。


それは真実。それが伝わってくれたらという夢を見ています。




 

2023・3・29

正しく怒れる人をめざせ

 


『怒る技法』マガジンハウス 全国書店に並んだ様子です。

『反応しない練習』から8年‥‥‥あの作品を「越える」(越えなければいけない)本。今の時代に必要な生き方を、渾身の力を振り絞ってまとめあげました。



名古屋で講座がありました。宿を出るとき、ロビーでWBCの準決勝試合の中継が。0-3のビハインドから、吉田選手の同点3ラーン! のところで宿を出ました。

道の途中で、4-5と逆転されていると掲示板。

でスクールに着いたところで、6-5と逆転サヨナラ勝利! すごい(笑)。
 
 
ワールドカップやWBCを通して感じるのは、日本人は、合理性が確保されたシステムさえあれば、世界をリードしうる革新性・勤勉性・一体感を発揮するということ。最良といっていい国民性を秘めている。
 
スポーツの世界で、選手も見る側も、あれだけ輝けるのだから、本当は政治・経済・文化においても、もっと輝いていいはずだし、輝けるはず。
 
政治・社会の仕組みと、人間の価値観だけが、旧態依然の不合理さに振り回されている。 


悪夢も覚めてみれば「夢だった」と思えるように、この国の閉塞と停滞も、長い悪夢だったと思えるくらいに、いつか覚醒してほしい。
 
誇れるし、結果も出せる国だということを、みなが思い出してくれたら。
 
 
そのためには、まず怒れること。
 
 
今回の作品は、怒る勇気と正しい怒り方を伝えるために書き下したもの。
 
この社会への遺書として、それくらいの思いをこめて書き抜いた本。
 
 
届いてほしいし、生き延びてほしいと願っています。



マガジンハウス『怒る技法』2023年



2023年3月25日

痛ましい世界~ミャンマーの人たちを想う

 


日曜の昼下がり、東京・飯田橋界隈で在日ミャンマー人のグループが募金活動をやっていた。

引き返して、以前ミャンマー旅行に行った人から預かっていた寄付(USドルとミャンマー・チャット)と気持ちを持って行った。

総額がいくらか数えていないが、分厚い束だったから、それなりの額だろうと思う。半分に分けて、二か所のグループに手渡した。

彼らにはなんの罪もないが、絶望的な状況に置かれているのは事実だ。傲慢な軍人たちが権力を手放す日など、本当に来るのだろうか。


ミャンマーを旅して、いろんな人たちに出会った。みんな善人。普通の人。

当時、唯一物足りなく感じたのは、人々が仏教を信じすぎていたこと。貧しいのに、その原因を見つめることはしていなかった。本当は、仏教も共犯かもしれないのに。

よき来世のために功徳を積む――その実践が、仏塔を建てたり長老・比丘に布施をしたり。

「来世のため」の布施なのだから、結局は、利欲に基づく行いと言えなくもない。信仰心に見えて、その本質は利欲。彼らが託すのは、来世への期待を得るための対価だ。


その対価を受け取るのは、寺の長老たちと、その背後にいる軍人たちだ。

長老も軍人も、巧みに仏教を利用して、人々の心をミスリードしていた。「輪廻信仰」は、彼らにとって最も都合のいい理屈だ。

今のミャンマーの状況は、彼らの魂胆が剥き出しになったというだけ。理不尽な構造は、ずっと続いていたのだ。

私欲を隠し持った人間と宗教にいくら期待をかけても、最後にたどり着くのは、彼らの魂胆が明るみになることしかない。支配、抑圧、搾取。異議を唱えた者たちへの弾圧と暴力。

ミャンマーの現状は、その一例だ。


私が、いや本来の仏教が「動機を見よ」と語るのは、結局、人間の動機を超える未来など存在しないからだ。

動機(思いの原点)に貪欲と傲慢が潜んでいる限り、そうした動機を隠し持った人間・組織・制度・思想にどれほどすがっても、最後に待っているのは、悲劇である。


そうした結末を見抜けないのは、すがる側にも都合のいい妄想があるからだ。

人間は、自分の妄想に囚われることで、他人が隠し持った動機に、簡単に騙されてしまう。


起きている事態は違えども、世界中で同じことが起きている。日本においてもだ。

 

気の毒に過ぎる。



人の幸せを第一に願えること。

人の痛みを思いやれること。

まともであることが、結局は正しい生き方だ。本当の価値を生みだす源泉となる生き方。



その当たり前の姿に、人々が気づく日は、いつか来るのだろうか。

 

 

受け取ったリーフレットの内容
怒ることだ でなければ滅ぼされる



 2023年3月



この世界に抗(あらが)うために~怒る技法

 


『怒る技法』は、2023年3月20日発売に決まったそうです。

著者としては、今回はじめて「書かなければ」という思いで著した作品。過去の作品は、純粋に出家=世俗と一線を引いた立ち位置で書いていたけれども、今回は、世俗に半歩踏み入れた位置で書きました。

世の中、節操がなく、思いやりがなく、平気で人を傷つけ、排除し、マウントを取って自己満足する「マウント・カルチャー」と言えるような言葉がはびこっている。

マウントを取るのは、承認欲と都合のいい妄想さえあれば、誰でもできるから、広がりやすいし、影響力を持ちやすい。快があるから。

言い放つ側にも、支持する側にも、快がある。


しかしその快は、必ず、他の人の苦痛を伴う。当たり前。マウントを取りたがる人間は、マウントされる人間の上にあぐらをかき、傷つけて、その傷に塩を摺り込むことになるから。

マウントを取りたがる心は、「排除」を生み出す。理屈をつけて、その条件に当てはまる人を排除する。当然、分断が生まれる。

決してよいことではない。だがそうした心は、同じ思いを持った心とつながって、増殖していく。

自分さえよければよく、社会にとって、同じ社会に属する他の人たちにとって、利益になるかは考えない。思いやり(痛みへの配慮)や社会的責任、未来への影響という発想がない。


こうした風潮は、いつから始まったか。個人的に思い出すのは、20年前ののイラク日本人人質事件。あの時出てきたのが、「自己責任」という言葉。

同じ時期に始まった構造改革・規制改革によって、企業においては、非正規雇用者が増え、社会保障が切り詰められ、経済的弱者が切り捨てられる傾向が、一段と強くなった気がしなくもない。

「自由化」という名の弱者切り捨てと「自己責任」は、同じコインの表と裏だった。
 

以来、「排除」を、もっともらしい理屈をつけて正当化しようとする風潮が、ずっと続いている気がしなくもない。

政治、経済、文化(学問や言論を担う者たち)、学歴信仰を助長しているように見えなくもない教育・受験産業やテレビ番組、SNSが確実に加担しているであろう今日のマウント・カルチャーにも。


社会に不満を持っている人が多いのは、当然だろうとは思う。だが不満を語る人もまた、自分に都合のいい「排除」の理屈に乗っかってしまっている可能性はある。

社会が「排除」を正当化するようになったからこそ、自分が排除される側に回ってしまったかもしれないのに、その自分もまた「排除」する側に回ってしまっている。

マウント・カルチャーは、排除の理屈の一つだ。マウントを取る側には快。だが、マウントを取られる側、排除される側が確実に増えていく。

そしていずれは、自分がマウントされ、排除される側に回ることになる。

苦しみが増え続ける発想でしかないのに、そのことに気づかない。


本当の問題を理解し、改善への道を地道に進むより、「排除」することは、はるかに容易で快適だ。だから社会の分断は、人が想像する以上に速く進む。


SNS、プラットフォーマー、マスメディア、思考停止した大人や、余裕を奪われた教師たち、地位や年齢や自分に都合のいい制度にあぐらをかいてしまった大人たち、

さらにはそうした世の中に不満を語りながらも、自分もまたマウントと排除の理屈に立ってしまっている、すべての世代・立場にある人たちが、それぞれに原因を作っている。

時代を作るのは、一人一人の人間の思いだ。その思いの中に、マウント、排除、建前、保身、打算計算その他の、その先には閉塞、分断、破滅が待っているかもしれない動機が、たくさん紛れ込んでいる。



言っても届かぬ言葉を語ることは、無意味かもしれない。

だが、届く人には届けなければならない。


社会の分断の手前で立ち止まっている人たち、世のありように疑問と危機感を覚える人たち、私にとっての読者――せめてそうした人たちに、思いやることと、正しく生きる智慧と勇気の言葉を伝えること。


それしかないか。もっとできるか。難しい線引きを、この先していかねばならない。

そうした思いの中で、一歩世相に踏み込んで書き著したのが、今回の作品。


私の命にも限りがある。しかし、誰もが幸せに生きられる世界をめざすことは、変わらない。私からの約束だ。

 

どうか、活かしてほしい。祈るような思いでお願いします。

この世界の未来のためにも。




2023・2・22



いよいよ!『怒る技法』発進!

 

草薙龍瞬の最新刊
『怒る技法』マガジンハウス

3月3日全国発売です
 
この殺伐とした世界の中で、
頑張って生きているすべての人に捧げます
 
 
◆◆◆◆◆◆
『怒る技法』内容紹介

はじめに

怒ることから始めよう
 

最初に、あえてお伝えします――怒ってヨシ!


「怒っちゃいけない」と我慢しないでください。「怒ってしまった」と、自分を責めるのもやめましょう。怒ることがいけないのではなく、うまく怒れないだけだ、と思い直してください。

人は生きていれば、必ず怒りを経験します。怒らなくてはいけないことも、多々あります。悩ましい人間関係に、はかどらない仕事、ネガティブやマウントの言葉が飛び交うインターネットにSNS、何も決められない政治に、先の見えない世界情勢、かさむ生活費に老後の不安、病気、事故、災難、降って湧いた相続争い――。

ああ、もう! ストレスまみれではありませんか。

こんな日々の中で、怒ってはいけないなんて、誰が言えるでしょうか。

怒ってヨシ!なんて、まさか仏教の本で聞くことになるとは、想像しなかったかもしれません。しかし、それだけ不満を抱えている人が多いのです。通りすがりの迷惑な他人も、仕事・家事・子育ての悩みも、忘れられない過去のことも、明日への不安や生きづらさも、ぜんぶ怒りです。その怒りを乗り越えてほしいのです。

そもそも仏教は、やすらぎを取り戻す方法です。怒りについても、多くの智慧があります。ストレスまみれの日々を頑張っているあなたに向けて、心を癒してもらうべく書き下ろしたのが、この本です。

(略)

ひとことで怒りといっても、これだけ技があるのです。本書では、こうした数々の技を、一人でできる簡単な技から、厄介な人物や課題に向き合う難易度高めの技まで、段階を追って整理しました。

いわば、各ステージをクリアして、レベルアップを図り、最後はラスボス――最も手ごわい現実を克服するという流れです。
 
すべての技をコンプリート(習得)すれば、どんな相手にも立ち向かえる、強い自分が手に入ります。
 
こうした技の集大成が、本書のタイトルである〝怒る技法〟Mental Arts On Angry Realities ――です。


本書がお伝えする心の技を身に着ければ、あなたの日常は一変します。小さな怒りは素早く流し、厄介な相手にも冷静に向き合い、どんな困難にも動じることなく乗り越えて、いつだって自分らしく快適に過ごせるようになります。

あたかも難敵に囲まれた剣士が、流麗果敢に技を駆使して、涼しい顔で切り抜ける――そんな強い自分になれるのです。

たしかに、人生にストレスはつきものです。
しかし、そのたびに怒りを抱えてうずくまっていては、身が持ちませんよね。

大事なことは、技を使うこと。怒りを感じた時に、どうすればいいか、わかること。

どんな現実に直面しても、「技があるから、大丈夫」と思える自分をめざすのです。

 
どんな怒りも、技を使えば、解消できます。〝怒る技法〟が、味方です。

ストレスまみれの日々を、希望をもって生き抜くために――。

いざ、心の鍛錬を始めましょう。


草薙龍瞬


『怒る技法』はじめに から抜粋
 
 
 




2023年2月9日

つつしんで捧げます~『怒る技法』

 

1月15日(日)13時 最新刊『怒る技法』脱稿(原稿完成)。
 

納得の作品。全編に、今の時代に伝えねばと感じる思いの髄を込めました。


生まれてから死ぬまでの怒りのすべてを斬って捨てていくという、一冊読めば生涯分の怒りを体験できる? そして怒りの越え方も。

今回は、4年越し、しかも2週間ほど前までは、全貌は見えていませんでした。

振り絞って出てきた「一滴」が、今回の作品です。

 

この命は、この世界に起きている苦しみを見据えて、言葉を探す。ブッダの智慧をえぐるように掘り起こす。


今回は、怒りという感情が持つ、負の要素ではなく、「可能性」を形にした作品です。


怒らねばならぬ時は、怒らねばならぬ。でないと、あなたの人生が滅びる。

そういう危機感を込めて、書きました。伝わるかな・・。


昨日から緊急事態ーー私は、各ページの末尾の言葉を何にするかまでこだわるタイプなので、最後の最後まで緻密に推敲して、240頁きっかりに仕上げて、本日13時に編集者さんにメール送信。


もっとも本づくりは、ここからが大変。初校、再校と手直しが続く。

さらにカバーイラストもこれから仕上げないと。骨ミシミシ、心臓ばくばく、しかし何かを創り出すというのは、こういうこと。


要するに・・・納得レベルの再更新ということです。

 

苦しみを強いられている人たちへ、つつしんで捧げます。 


 

  

カバーアート 草薙龍瞬

 

 

2023年1月17日

苦しんでいる人ほど怒らねば


こんにちは、草薙龍瞬です。

近況報告はなんだか久しぶり? 
改めて新年あけましておめでとうございます(何を今さら)

実際に久々なのか、最近おたよりしたか定かではないのですが、それだけ大変な?状況が続いているということですw。なんだか正月が遠い・・・いやすべてが遠い。

というのも、昨年末から、ほとんど外に出ていないのです。ほぼ自室に缶詰め状態。

最新刊は、いよいよ脱稿(完成)寸前。

370ページ(約20万字)を、この二週間で半分に減らしました。いったん200ページに落として、そのうえで省いた内容を肉付けして‥‥‥。

この4年くらい? 今回の作品はずっと念頭にあって、しかし内容が難しくて、まとまりきらず、

受験生でいうなら、「こんなので受かるのかな? 無理かな?」と思いつつ、結局最後の追い込みに入って、それでも高いハードルに苦労して、「うーん、しんどいな、見えないな」と思って、ウンウン唸りつつ机に向かって、

最後の二週間くらいで、突如「覚醒」――「見える、見えるぞ!」(機動戦士ガンダム)ゾーンに入ってきた、そんな感じです。

今回の本は、著者がいうのもなんですが、かなりユニークな作品になりそうです。

誰もが体験する怒りについて、さまざまな場面を拾って、「心の達人ブッダ」が師匠となって、現実に立ち向かう秘技の数々を伝授するという。

怒りについては、仏教の世界なら瞑想で静めるとか、アンガーマネジメントなら自分サイドで解消するとか、いろんな形で語られてきましたが、どれも「自分の側で解決する」という発想の枠内だった気がします。


しかし怒りというのは、自分の側の問題とは限りません。人間、そして社会、広い世界――自分は怒らされているのであって、怒らせているのは自分以外の他者かもしれない! そんな発想で斬りこんでいった本は、これまでなかったかも? 

しかも、すべての場面に、きっちり使える「技」としてまとめあげた本、いわば正しい怒り方大全 みたいな作品は、やはり今回が初?

実際書いていて、面白い。同じものを書けと言われてもこれは無理。アタマをフル出力してようやく作品の形に仕上がってきました。



苦しめられている人こそ、怒らねば。
怒(いか)れる人から「正しく怒れる人」に変身せねば。

この世界に生きるすべての人の味方になる本です。


この世界に優しさを取り戻すために――。

 

タイトルはほぼ確定(近日公開)。

2月20日発売ですが、まだ原稿が完成していないという・・・かなり危険区域。しかし中身は時代を画するかもしれない内容。唯一無二。いや、生きてきてよかった。


ということで、著者がんばっております。



よき週末を!



2023・1・13