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日本編15 閉塞

 


❝ そうだ、僕は忘れていたのだ。

人間は取るに足りないプライドに囚われて、どれだけ頭がいいかという程度の見栄の満足で生きてしまえる。

そんな人間が社会を作っていくのなら、学問をやっても無意味だ。変わるはずがない。❞


何もしないまま、卒業の年を迎えた。真昼の電車に乗って、初夏の海を見に行った。


列車の窓から、きらきらと光こぼれる青い海が見えた。


ああ、僕はこの世界が好きだ。美しくて、どこまでも行けそうな、この広い世界が。一緒にいるときだけ、全身が慰撫される気がする。


真夏の隅田川花火大会を一人で見に行った。色づく光と空気を叩く音と声を上げる人たちと。溶け込んでいるだけで、淋しいけれど幸せだった。


僕は何者にもなりたくない。何をしても世界は変わらず、どうしたって失った人は戻ってこないなら、前に進む意味なんてあるだろうか。

 

静寂が戻った下町の夜道を、人の流れに身をゆだねて歩いていった。小さな駅に着いた。高架の上を黄色い車体に白い光をこぼしながら、電車が入ってきた。

行ってみようか、夏なのだから。行き先も確かめずに飛び乗った。

 


中日新聞・東京新聞 日曜朝刊連載中『ブッダを探して』

日本編15 閉塞 2024年8月4日付

文・絵 草薙龍瞬 





今、勉強中の十代の人たちへ。

※中日新聞・東京新聞に連載中の記事から(毎週日曜朝刊掲載)

 

12 閑話休題

今、勉強中の十代の人たちへ。ここまで読んで「自分だってできるかも」と思ったかもしれない。できるかもしれないし、できなくてもいいかもしれない。建前(きれいごと)ではなく、勉強より大事なことは、確かにあります。

何をするにせよ〝気持ちが入る〟生き方を選びたい。趣味も部活も学びも友だちづきあいも。気持ち半分でぼんやり生きても、永久に楽しくないから。

気持ちを入れるには、三つ入り口がある。①「好き」から始める。②やってみる(とにかく体験する)→できるようになる→いっそう楽しくなる。③「このままではヤバい」という危機感で頑張る。

僕の場合は③だった。「あとで後悔だけはしたくない」と思い詰めていたから、自分にマイナスなことはしなかった。生き方を知るために、本や映画や新聞(特に文化欄)を活用した。決定的に影響を受けたのは、手塚治虫の漫画かも。人生の深さと世界の広さを教えてくれた。


人生は何事も方法(やり方)次第。やり方がわかればできるようになる。こればかりは先生も教えてくれない。自分で探す必要がある。数学なら段取り(展開の順序)をつかむ。国語なら理由づけや説明に当たる部分に印をつけて読む。英語なら文節ごとに区切って音読するなど。どんな手順で取り組むか。確立すれば強くなれる。


十代の頃は、周囲の目に敏感になるものだけど、ほどほどでいい。卒業したら、みんないなくなる。大人になったら、関わる相手も暮らす場所も自分で選べるようになる。そう、選べる大人になるために、今準備しているんだよ。


人生の着地点は、ひとつ居場所を見つけること。誰かの役に立つ(働く)ことだ。支えてほしい、助けてほしい、自分なりのやり方で。社会の幸福の総量を、君一人分増やしてほしい。


勉強ができるとか、褒めてもらえるとか、人が言うほど大したことじゃない。案外、みんなわかってないんだよ。自分のことも、生き方も。


自分らしくいられる場所を見つけよう。それだけでよかったんだ。(略)最後は出家してようやく答えがわかった、僕の体験に基づく結論です。



2024年7月21日掲載




ブッダガヤの宇宙人 中日新聞連載中


ブッダガヤに着いた僕とラケシュは、さっそく一帯を見てまわった。

ブッダガヤには、観光の人々だけでなく、僧たちも大勢いる。タイ、ミャンマー、スリランカ、チベット、ベトナム、台湾など、さまざまな色の袈裟を着た僧たちが歩いている。

その一人を指さして、ラケシュが言った。「あの坊さんはバラモンだよ」

本物の坊さんじゃないという。見かけは仏教徒だが、中味はヒンズー教徒の最高位カーストのバラモン。まさか。

オレンジの衣を着た男に声をかけてみた。「あなたは、仏教のお坊さんですか?」

曖昧な返事。何度か目を見て尋ねると、相手の眼がはっきり泳いだ。え?――地の底が抜けたかのように驚いた。地球人を装った宇宙人に遭遇した感じ。

呆然とした顔で戻った僕に、ラケシュたちが「わかった?」と笑う。ブッダガヤには、ニセモノ僧侶が跋扈しているという。

寺院建立を計画しているとか、無償の学校を開いているとアピールして寄付を募る。観光客が見学に来る前に手配師が招集をかける。村の子供や老人たちが駆けつけて、にわかに学校が現れたり悲しげな物乞いと化したりする。そういうローカル・ビジネスがあるというのだ。

数日滞在するだけの観光客には見分けがつかない。すべてが嘘だとは言いたくないが、欲望渦巻くインドの隠された現実だ。

ラケシュが笑って言った。「もう君は真実を知ってしまった。責任を持ってもらうからね」。

僕が幸運だったのは、インドで最初に出会ったのが、ナグプールの街に住む仏教徒たちだったこと。カーストの最底辺に追いやられてきた人々だからこそ、現実が見える。

「これが仏教だ」と、わかった気になっては騙される。現実は、人の欲望と狡猾さで歪められているのだ。人を救うはずの宗教でさえも。

はたしてブッダの教えはどこに行ったのか。答えを探すには、まさに今ある苦しみから始めなければいけないのだ。



文・絵 草薙龍瞬

中日新聞・東京新聞連載中(日曜朝刊)




道の始まり 中日新聞連載中

道の始まり 

 ブッダが教えてくれた新しい道。そこにたどり着くまでに、途方もない歳月が必要だった。僕が‶流浪〟し始めたのは、正直に告白しよう、二歳のときだ。

 引っ越し先を探して、両親と僕は奈良の田舎町に車でやってきた。なぜか僕一人だけ、造成途中の空き地に降ろされた。人生最初の思考が湧いた。「僕はこれから一人で生きていかなきゃいけないんだ」。

 すぐ両親は戻ってきたが、車の中で考えたことは「ひとまず助かった」。その日から僕は、これからどこでどうやって生きていくかを独り考える人になってしまった。

遊んでなんかいられない。生き方を探すには、社会のことを知らないと。小五の僕は、新聞朝刊のコラムを集めた文庫本を全巻そろえて読んでいった。終戦直後の貧困、経済復興、植民地独立運動、公害問題、オイルショック、東西冷戦。このままでは人類が滅びてしまう。どうすればこの世界を変えられる?

ちょうどその頃、町に初めての進学塾ができた。「とにかく外の世界へ」という思いに駆られてみずから入塾。運よく合格したのは、東大・京大合格者が数十名という関西の進学校。

中二で受けた模試の成績表を見て、こう考えた。「周りと比べて上か下か、そんな物差しでしか測れない勉強に意味はない。成績で人の上にあぐらをかくような人間には、なりたくない」。偶然知った大検(現在の高認)という制度。受かれば高校を飛ばして大学に行けるという。中三の夏休みに決意した。

反対する親や先生に僕はこう言った。「自分の人生に責任取れるのは、自分だけやろ?」。大人たちを説き伏せて中三の二学期に自主退学。卒業証書ももらっていない。今思えば、これが最初の出家かも。父よ母よ、すみません。

十代の心には、未来は無限に広がって見える。見えないから留まるのか、突き破って前に進むのか。「後悔だけはしたくない」。そう思うなら、答えは一択だ。進めるだけ前に進め。未来は、そのためにあるのではないか。


 
 

中日新聞・東京新聞日曜朝刊連載中

2024年5月5日(日)掲載分から

 

中日&東京新聞連載開始~ブッダを探して

2024年2月18日(日)中日新聞・東京新聞で連載開始 
文・挿絵・タイトルバック(上のカット↑)草薙龍瞬


プロローグ
旅の始まり

人生が八方塞がりになることは、たまに起こる。誰の人生にも起こりうる。

僕の場合は、三十代半ばで起きた。仕事をめぐる迷い。末期ガンの宣告(のちに誤診と判明して命拾い)。独身で、貯金もなく、東京で先の見えない暮らしを続けていた。

人生にゆきづまったとき、人は過去を振り返る。僕が出てきたのは、奈良の田舎。関西の進学校に入ったが、成績を比べ合って一喜一憂する学校に違和感を覚え、中三の二学期で自主退学した。卒業証書さえもらっていない。中学中退だ。

父との関係は最悪で、家に居場所なし。十六歳の夏に思いきって家出した。自分を知る人は誰もいない大都会・東京。文字通りの闇をさまよい、「このまま終わってたまるか」という意地と、「学問をやって世の中を変えたい」という理想にしがみついて、一年勉強して東大へ。だが直面したのは、深い失望だった。

いろんな仕事をした。「ほかに生き方はないのか?」と探し続けた。だが、どこまで行っても答えは見えず、何をやってもうまく行かない。悲壮な思いを抱えて東北寒村の禅寺を訊ねたのが、三十五歳。だがそこでさえ、最後に見たのは、居場所のない自分だった。


もう後がない。さながら漆黒の闇へと崖から飛び降りるつもりで、出家した。


場所はインド。開けたのは、星々が燦々ときらめくかのような、はてしなく広い仏教の世界。死んだつもりが生き返った。ようやく人生の謎が解けた。

人生、完全に詰んだと思う時もある。だがまだ終わっていないのだ。きっと道はある。その希望さえ捨てなければ。遅くないぞ。

ブッダに出会うまでの道のりを、人生に役立つ仏教の智慧をちりばめながら、お伝えしていきます。


文・絵 草薙龍瞬

僧侶・作家 一九六九年生。奈良県出身。大検(高認)を経て東大法学部卒業。三十代半ばで出家し、ミャンマー国立仏教大学等で学ぶ。仏教を現実に役立つ生き方として紹介。ベストセラー『反応しない練習』『怒る技法』など著書多数。栄中日文化センターで仏教講座を担当。



中日新聞・東京新聞
2024年2月18日(日)から連載開始(毎週日曜掲載)