道の始まり 中日新聞連載中

道の始まり 

 ブッダが教えてくれた新しい道。そこにたどり着くまでに、途方もない歳月が必要だった。僕が‶流浪〟し始めたのは、正直に告白しよう、二歳のときだ。

 引っ越し先を探して、両親と僕は奈良の田舎町に車でやってきた。なぜか僕一人だけ、造成途中の空き地に降ろされた。人生最初の思考が湧いた。「僕はこれから一人で生きていかなきゃいけないんだ」。

 すぐ両親は戻ってきたが、車の中で考えたことは「ひとまず助かった」。その日から僕は、これからどこでどうやって生きていくかを独り考える人になってしまった。

遊んでなんかいられない。生き方を探すには、社会のことを知らないと。小五の僕は、新聞朝刊のコラムを集めた文庫本を全巻そろえて読んでいった。終戦直後の貧困、経済復興、植民地独立運動、公害問題、オイルショック、東西冷戦。このままでは人類が滅びてしまう。どうすればこの世界を変えられる?

ちょうどその頃、町に初めての進学塾ができた。「とにかく外の世界へ」という思いに駆られてみずから入塾。運よく合格したのは、東大・京大合格者が数十名という関西の進学校。

中二で受けた模試の成績表を見て、こう考えた。「周りと比べて上か下か、そんな物差しでしか測れない勉強に意味はない。成績で人の上にあぐらをかくような人間には、なりたくない」。偶然知った大検(現在の高認)という制度。受かれば高校を飛ばして大学に行けるという。中三の夏休みに決意した。

反対する親や先生に僕はこう言った。「自分の人生に責任取れるのは、自分だけやろ?」。大人たちを説き伏せて中三の二学期に自主退学。卒業証書ももらっていない。今思えば、これが最初の出家かも。父よ母よ、すみません。

十代の心には、未来は無限に広がって見える。見えないから留まるのか、突き破って前に進むのか。「後悔だけはしたくない」。そう思うなら、答えは一択だ。進めるだけ前に進め。未来は、そのためにあるのではないか。


 
 

中日新聞・東京新聞日曜朝刊連載中

2024年5月5日(日)掲載分から