朝日EduAのインタビュー記事が公開されました(2026年1月23日)
受験本番を迎える親子の心構え──"妄想"を手放す技術と「転んでも損しない」考え方
https://www.asahi.com/edua/article/16296115?revision=HEAD&layout=LIVE&token=92f619475228d32033e8519882bc430123273dca18e9b771b641c49ceb80feb1
『ブッダを探して』(中日新聞・東京新聞連載中)は、
2026年3月をもって連載終了。
仏教とは何か、出家という生き方とはどんなものか、
日本、インド、ミャンマーと舞台を変えて描き出す、異色の作品です。全編実体験。
単行本にまとめる作業が残っているので、どこかの編集者さん・出版社様との新たな出会いを待とう思います。
ノンフィクションであり、旅物語(紀行文)であり、文芸色も濃い作品なので(しかもイラストつき)、
そうした系統の作品への理解と思い入れが深い、編集者さんと出版社に託することができれば、と思います。
著者側から当たれる関係性(ツテ)はあるのですが、それでは面白くない気もするのでw、
今回はあえてオープンにしようと思います。
これから旅(物語)が始まる――
という予感に満ちた表紙にしたいと考えています。
2025・12・27
PHP 2025年12月号
特集「捨てる」と人生が好転する
月刊PHPは、まだ自分の本が広く届く前に原稿の依頼をいただいて(2013年?)、
その記事がきっかけになって、『反応しない練習』につながっていったという恩人的な雑誌です。
この号も、他の記事が充実しています。これで300円(なんて良心的w)。
読者はシニアの人が多い様子。月に一度、こうした読み物が届く暮らしは、なかなかのものだと感じます。
目に触れる文章や写真・絵は、ノートに抜き書きしたり切り貼りしたりして、自分のモノにする作業が大事なのだろうと思います。
雑誌の場合、元の本をもう一度すべてたどることは、ほぼないでしょう。
「この時はこれに反応した(目が留まった)んだな」という履歴を刻む作業こそが、価値として残るのだろうと思います。
2025・11・9
中日新聞・東京新聞連載中の『ブッダを探して』は、
インド帰郷編が終わり、いよいよ現代日本編に入ります。
毎回800字くらいにまとめないといけないので、掘り下げたり広げたりはできません。
書き手には膨大な記憶と感情があるので、そうした部分を振り返りながら、最終的に800字にエイヤと詰め込む作業をしています。
これは無執着じゃないとできないかも。無執着というのは、客観性でもあり、冷徹さでもあり。思いっきり突き放さないと、客観性のある文章は書けません。
とはいえ記憶は膨大――。書いていて、「長い話だなあ」と思います(笑)。
「どこまでこの人、苦労するねん?(まだ苦労続くの?)」と現代日本編を書きながら感じてしまいます。
最終編は「たどりついた未来」になる予定。ようやく皆さんにご一緒いただいている、今そして未来の話に入ります。
2026年2月末に連載終了予定。いや、長かった。よく頑張りました(まだ終わっていませんが笑)。
進行ペース(読者にとって冗長感が出ないように)を考えて掲載しなかった原稿がいくつかあります。その一本を特別に共有します:
◇◇◇◇◇◇◇
ブッダを探して
インド帰郷編〇 微笑み
ウダサ村で一人の女性が亡くなった。まだ四五歳だが、心臓発作で急死した。
この地では、人が亡くなると夜通し音楽を鳴らす。通夜用の歌手がやってきて、ひと晩中歌い続ける。
通夜の翌日、その家を訪れた。床に横たわる女性の亡骸があった。老いた母親が覆いかぶさるようにして泣いている。その周りを縁者の婦人たちが囲み、その外側に村の女性たちが座る。部屋は、弔いに来た村人で一杯だった。
娘に先立たれた母親は、むせび泣きながら歌っていた。
「あなたが微笑んでいるだけで、わたしは幸せだった」。
娘が生きていた頃の姿を思い浮かべているのか。ともにいた時間が、母としてどんなに幸せだったかを、娘に伝えようとしているのか。
歌いながら、母親はみずからの頬を流れる涙を何度もぬぐい、硬くなった娘の手を握り締め、その頬や額を掌で撫でていた。
母親の腕はか細く、飴色の肌は無数の皺を刻んでいた。村の女性の多くは、十代で嫁いで、子を産み育てている。早朝に起きて水を汲みに出かけ、家族の朝食を準備し、清掃し、農作業や村の共同行事に身を捧げる。
子供には優しい母親であり続け、婦人同士は快活に笑いあう。働きづめの生涯だ。これ以上に偉大な生き方があるだろうか。
私は、女性の亡骸のそばに座り、その体の上に置かれた二つの手をそっと握った。目を閉じて、穏やかな顔をしている。額に掌を当てると、優しい冷たさがあった。
むせび泣く母親のほうにも手を伸ばし、その額に掌を当てた。小さな額は驚くほどに温かかった。どうか、その心に浮かぶ娘さんの姿がいつも笑顔でありますようにと願った。
掌を当てられた母親は、不思議なことを体験したかのように神妙そうな、驚いたようなまなざしで私を見つめて、泣くのを止めた。
静かになった部屋から私は離れた。
村の子供たちがほどけた笑みを浮かべて駆け寄ってきた。亡くなった人と、これからの子供たち。失う悲しみと未来に臨む喜び。
死すること、生まれることを、そばに見る。世界はこうして続いていく。せつなく美しい村人の中にいる。
2025・10・20
興道の里から
医学書院が発行する『看護教育』No.66(2025年第4号)巻頭インタビュー記事 で取り上げていただきました。
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