❝ そうだ、僕は忘れていたのだ。
人間は取るに足りないプライドに囚われて、どれだけ頭がいいかという程度の見栄の満足で生きてしまえる。
そんな人間が社会を作っていくのなら、学問をやっても無意味だ。変わるはずがない。❞
❝ 何もしないまま、卒業の年を迎えた。真昼の電車に乗って、初夏の海を見に行った。
列車の窓から、きらきらと光こぼれる青い海が見えた。
ああ、僕はこの世界が好きだ。美しくて、どこまでも行けそうな、この広い世界が。一緒にいるときだけ、全身が慰撫される気がする。
真夏の隅田川花火大会を一人で見に行った。色づく光と空気を叩く音と声を上げる人たちと。溶け込んでいるだけで、淋しいけれど幸せだった。
僕は何者にもなりたくない。何をしても世界は変わらず、どうしたって失った人は戻ってこないなら、前に進む意味なんてあるだろうか。❞
❝ 静寂が戻った下町の夜道を、人の流れに身をゆだねて歩いていった。小さな駅に着いた。高架の上を黄色い車体に白い光をこぼしながら、電車が入ってきた。
行ってみようか、夏なのだから。行き先も確かめずに飛び乗った。❞
中日新聞・東京新聞 日曜朝刊連載中『ブッダを探して』
日本編15 閉塞 2024年8月4日付
文・絵 草薙龍瞬